日本書紀と古事記から見る両面宿儺(リョウメンスクナ)の特徴とは?
両面宿儺とは
一般的に、人徳(日本の第16第)天皇の時代に飛騨国に、現れたとされる異形の人や鬼神。「日本書紀」において竹振熊命(たけふるま)にうたれた凶賊とされる一方で、岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開基となった豪族であるとの逸話もある。
両面宿儺の正体
- 異形の人
- 鬼神
- 凶賊
- 豪族
飛騨国(ひだのくに)
「飛騨」は飛騨山脈の西側一帯を示す言葉で、岐阜県北部に位置する。その名を受け継ぐのは飛騨地区北端の飛騨市であるが、歴史的な文化の中心的存在としては、ほぼ中央に位置する高山市の方が有力。高山市は「飛騨高山」と呼ばれることが多い。
武振熊命(たけふるま)
簡単に言うと、両面宿儺をやっつけた人。別名、和珥武振熊(わにのたけふるくま)は、古墳時代の豪族・和珥氏の祖。「日本書紀」では「武振熊」「難破根子武振熊(なにわのねこふるくま)」と表記され、「古事記」では「武振熊命」ともされている。
日本書紀から見る両面宿儺の特徴
身の丈が7尺(約2メートル)あまり、頭の前後に2つの顔を持ち、手足が4本あったとされる。他にも、左右の腰に剣を帯びて左右(左手2本・右手2本)4つの手で2つの弓矢を用いたとされる。膝はあるがひかがみ(膝の裏)と踵(かかと)がなかったとされ、脛当てをしていたとされる。また、皇命に背き人民から略奪をすることを楽しむ人物であった。「日本書紀」では悪者に表現。しかし、各地に伝承された両面宿儺の特徴はそれぞれに異なる。
丹生川の伝承での特徴
身の丈は十八尺(とにかく大柄)で、それ以外の見た目は日本書紀とほぼ同様だが、救世観音の化身であるとされている。また、千光寺を開いたとされる。その他に、位山(現在の飛騨高地の中央に位置する岐阜県高山市の山。)の鬼「七儺」を、天皇の命により両面宿儺が討ち取り、良者と表現されている。
金山の伝承での特徴
金山(かつて岐阜県益田郡にあった町。)の鎮守山に37日間留まり、陀羅尼(だらに)を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去った。故にこの金山を鎮守山と呼び、村人が観音堂を建てた。良き者とされる。
日本書紀(にほんしょき)
奈良時代に成立した日本の歴史書。720年に完成したとされている。日本に伝存する最古の正史。内容は30巻+系図1巻で構成されており、国家の公式な歴史を記している。作成に39年かかっている。
日本書紀の内容
出来事を年代ごとに説明しており、具体的な内容は、古事記と比較すると日本の中だけでなく近隣諸国(朝鮮半島の出来事:今の韓国・中国・北朝鮮)の出来事も書記されている。
日本書紀を説明・書記した人物
天武天皇が、川島皇子(かわしまのみこ)らに命じ、舎人親王(とねりしんのう)らが受け継ぎ完成させた。
日本書紀が作られた目的
近隣諸国が認める国家になるためには、中国のような自国の史書が必要と国外に向けて、日本をアピールするため。
古事記から見る両面宿儺の特徴とは?
両面宿儺の特徴、また触れることは一切ない。
古事記(こじき)
日本書紀と対象すると、天皇家の歴史が強い歴史書。内容は日本を創成した神々の話と、中下巻では、神武天皇~推古天皇までの事柄が記されている。712年に完成、わずか4か月で出来上がったとされる。
古事記を説明・書記した人物
話した人物は天武天皇で、それを暗記していた稗田阿礼(ひえだのあれ)という人物が、太安万侶(おおのやすまろ)という人物に話し、これを書記した。712年に元明天皇のときに完成したとされる。
古事記の内容
登場する神が多いので色別しました。
- 2神の伊邪那美(いざなみ『妻』)と伊邪那岐(いざなぎ『夫』)が、矛で海をかき混ぜ島を作りました。2神は、その島で子どもを作りましたが、不完全な神・蛭子神(ひるこ)が生まれた。
- 次に神々を作るために、再度試んで最初に淡路島を作り、最後に本州を作り、日本列島を完成させた。
- 神々を生んでいきますが、火の神を生むとき伊邪那美は、焼かれて死んでしまいます。
- 残された伊邪那岐は、黄泉の国へ行くことが禁じられているにも関わらず、亡くなった妻を連れ戻そうとする。
- 2神は黄泉の国とこの世を区別する石(扉)を通して再会。
- 伊邪那岐は伊邪那美に直接会いたいことを告げる。伊邪那美は「黄泉の国の主に直接再会することをお願いするので、待ってほしい」と夫へ告げる。しかし、伊邪那岐は我慢できずに、黄泉の国の石(扉)を開けて妻を探すことに。
- 再会することが出来ましたが、伊邪那美の変わり果てた姿に伊邪那岐は驚き逃げる。妻は約束を破ったこと、変わり果てた姿を見られたことに激怒し夫を追いかける。
- 伊邪那岐は伊邪那美から逃げ切り、黄泉の扉を閉めた。
- その後、伊邪那岐が、三貴子「①天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「②月読命(つくよみのみこと)」「③須佐之男命(すさのおのみこと)」を生む。
- その中の須佐之男命の子孫である「大国主命(おおくにぬしのみこと)」は、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)を助けた優しい神。しかし、この神は「因幡の白兎」の一件から、他の神々の嫉妬を受けて根之堅洲国(ねのかたすくに)に逃げることに。そこで、須勢理毘売(スセリビメ)と出会い結ばれます。
- 父である須佐之男命はこれを知り、大国主命へ試練を与えることに。その試練に見事合格した大国主命は、結婚して地上での国作りに取りかかる。しかし、ここで伊邪那岐の三貴子の天照大御神が『この地上の国(日本)は私の子孫が納めるべき!』と宣言。
- 天照大御神の子である邇邇芸命(ニニギノミコト)達を地上へ派遣。
- その後、大国主命は、出雲大社(いずもたいしゃ)の建造を条件に国を譲りました。その後、邇邇芸命の子孫が神武天皇として即位して、何代にも続く現在までの天皇の歴史が続いている。
伊邪那岐と伊邪那美の動画
須佐之男命(すさのおのみこと)の動画
因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)動画
まとめ
今回は両面宿儺(リョウメンスクナ)について探っていきました。「日本書紀」ではあまり良く書かれていませんが、地方の伝書では良く書かれていました。各々の立場によって善悪がつけられているので見解が違うのかと筆者は感じました。みなさんはどう思ったでしょうか?
また探っていくと、古事記には両面宿儺は出てこないことが分かりました。途中、古事記の深堀となってしまいましたが、それはそれで楽しんでいただけたら嬉しいです(笑)
日本書紀も古事記も探っていくと、結構おもしろいですよね。
それでは最後までご覧いただきありがとうございました!
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