青森県の心霊スポットや怖い話とは?都市伝説も明らかに!
全国各地に心霊スポットはありますが、青森県は少し別格のような気がします。日本三大霊山として有名な恐山の怖い話や、竹内文書というナゾの古文書を頼りに見つけられたキリストの墓、他にも青森市の八甲田山遭難事件など数多く点在しています。誰もが一度は耳にした都市伝説「杉沢村」、少し前にSNSで話題となった都市伝説「きさらぎ駅」では、行方不明になった主人公が車で恐山に連れて行かれたという推測が浮上したことで有名ですね。今回はそんな心霊好きにはたまらない青森県の背筋がゾクッとする怖い話や心霊スポット、都市伝説をご紹介していきます。それでは早速みていきましょう!
※情報があれば、更新しますのでお見逃しなく!
北海道にある恐山にまつわる怖い話
日本三大霊山で知られる恐山は、霊が集まる場所として全国的に知られていて、青森の北一円では「人が亡くなれば恐山に行く」と今でも語り継がれる怖い場所です。恐山の中でも特に危ないスポットとして有名な「賽の河原」は一番注意すべき場所と言われるほど山ほど怖い話があります。賽の河原の積み上げられた石を、誤って崩すと祟られる。石を記念に持ちかえると事故に遭う、気が狂ってしまうなどなど怖い話も少なくないようです。賽の河原は亡くなった人の名前が書かれたネームプレートやお地蔵様、子どものおもちゃなどもあって怖くて悲しい空気が漂うスポットですが、くれぐれも軽い気持ちで観光することはおススメできない場所です。特に冬の閉山期間に行くなど以ての外、冬の時期になると頻繁に心霊現象が目撃されるとのことなので、いくら怖い話や心霊スポットが好きという方でも控えるべきですね。
賽の河原にある積み上げられた石
「死者の霊魂は山へとかえる」昔からこの言い伝えは全国各地で広がっていますが、恐山はその地となる名所と言えるでしょう。それなのにどうして本州の北の端まで、日本各地から人々が恐山に訪れるのでしょうか。その理由は、イタコの存在です。イタコとは、いわゆる霊媒師を生業とする女性です。彼女たちは霊魂を自分の体に降ろす霊能力を持ち、亡くなった人の代わりに話しをする「口寄せ」と呼ばれるものができると言われています。通常、イタコは自宅で生業をしていますが、観光客の多いシーズンになると恐山にある境内までわざわざ出張をして依頼主と会って口寄せをしてくれるようです。そのため、日本全国から恐山にたくさんの観光客(依頼主)が訪れるのです。三千円ほどで霊魂とコンタクトをとってくれるそうですね。ちなみに、イタコになるには先輩イタコの厳しい修行を積まなくてはならないとのことですが、生まれながらに霊能力を持っているためイタコとして活躍する天才イタコもいるようです。ご高齢のイタコは津軽弁がつよくなるため、許可を得て口寄せを録音する依頼主もいるようです。しかし録音した音声には、不可解な声が一緒に入るという怪奇現象も稀に起こると言われています。
恐山
それでは恐山やイタコにまつわる怖い話はこのくらいにして、次は「八甲田山」について話していこうと思います。秋には彩豊な紅葉が楽しめ、春から秋にかけては湿原をまわる散策コースを訪れる観光スポットで溢れる八甲田山。実はそんな八甲田山も、恐山と同じように怖い話が後を絶たない心霊スポットとして裏の顔を持っているようです。それでは何故、青森でも有名な心霊スポットとして八甲田山が挙がるのか調べてみましたので以下で見ていきましょう!
青森でも有名な心霊スポット!八甲田山
青森でも有名な心霊スポットとして知られている八甲田山は、明治35年の冬に「八甲田山遭難事件」が起きています。日露戦争を目前にした日本兵が、ロシアの気候対策として八甲田山を選んで、雪中行軍訓練を当時していました。ところが記録的な寒波に見舞われてしまい、総勢210人中199人の兵士が命を落としてしまいます。たくさんの犠牲者が出た八甲田山遭難事件の原因は、訓練隊を率いていた大尉が八甲田山の雪に知識がなかったことや、出発した一日目が暖かい気候だっために隊全体に軽装備で山に向かわせたことでした。出発した翌日から、想像もできないほどの猛吹雪が訓練隊の道を雪で見失わせて、軽装備の兵士たちは寒さで次々と倒れていきました。しかし、悲惨な遭難事件をきっかけに日本は防寒を徹底対策させ、日露戦争で勝利したのです。
八甲田山遭難事件銅像
八甲田山遭難事件の他に、最近だと平成9年に青森駐屯第五普通科連隊の訓練隊がガス中毒に巻き込まれて3人が亡くなった悲惨な事故が起こっていました。このような事故や遭難事件があったことから、八甲田山は青森の地元でも有名な心霊スポットとなっているようです。「青白い顔をした人影が道路を横切った」「ギシギシと雪の上を軍隊が行進するような音が聞こえた」「車で行くと八甲田山遭難事件で亡くなった訓練隊に囲まれる」など、これらたくさんの怖い話は有名です。もしかすると、無念の思いが山の中を彷徨っているのかもしれません。
八甲田山遭難事件や八甲田山ガス中毒事故、霊が集まる恐山やイタコ、賽の河原の祟りといった青森の怖い話をピックアップしてきました。怖い話というか、原因を調べていくと、どれも悲しいお話のようにも感じましたね。
突然ですが、みなさんは都市伝説やUFOの存在を信じますか?こういった類の話は怖さだけでなく神秘性やロマンを感じますよね。例えば、近年SNSで話題になった「きさらぎ駅」や地図から消えた村と呼ばれる「杉沢村」。杉沢村に関しては2000年8月24日にある番組で放送されるなどして、全国的に有名です。杉沢村が地図から消えた村と語られるのは「遡ること50年前、精神に異常をきたした一人の青年の凶行で村人全員を消してしまった」とされています。さまざまなウワサが広がっていますが、真相は闇に葬られたままのようです。
謎に包まれた杉沢村の入口
さて、次は日本に眠る「キリストの墓」について以下で主に紹介していきたいと思います。日本にキリストの墓が何故眠っているのか調査しました。「竹内文書」という謎に満ちた古文書が手がかりのようです。それでは日本に眠る「キリストの墓」ついて触れていきたいと思います。
都市伝説!日本に眠るキリストの墓とは?
「日本の青森にはキリストの遺体が眠る墓が存在している」という話を一度は誰でも耳にしたことはないでしょうか。白い囲いに十字架が建てられた小さな塚が青森の新郷村と呼ばれる外れにあります。それではどうして青森の新郷村外れにあるその場所が、キリストが眠る墓となったのでしょうか。遡ること昭和初期、竹内文書という古文書を信じて全国を調査している竹内調査隊という人たちがいました。竹内文書には次のようなことが書かれていたようです。
イエス・キリストは、エルサレムのゴルゴダ丘で十字架にかけられたと言われているが、実は双子の弟であるイキリスが身代わりになっていた。当の本人キリストは、弟の遺髪とマリアの形見を持ってシルクロードを渡り、樺太から逃れ、日本で結婚。三人の娘に恵まれた後、106歳まで幸せに暮らした。
竹内文書
竹内調査隊は上記の内容を信じて、青森の新郷村外れにある村を訪れて当時の村人にこの真相を伝えましたが、誰ひとりとして真相を隠すように相手にしなかったと言われています。しかし竹内調査隊は、村人の風習と竹内文書の内容を照合していくうちに共通点を見つけたため、あながちデタラメではないと思うようになりました。例えば、この村の名前は「戸来」で、ヘブライという言葉がなまったような名前であること、かつてこの村では父をアダ、母をエバと呼んでいて、まるでアダムとイブを指すかのような呼び方です。他にも、キリストの三女が嫁いだとされる旧家・沢口家では「ミコの跡」と言われる異国的な風貌の子が三世代ごとに誕生する、家紋がユダヤ紋章を表す六芒星とピッタリ同じと言われていました。赤ん坊が誕生すると額に、棺の上には十字架を魔除けとして書く風習もあったそうです。極めつけは盆踊りに歌う「ナニャランドヤラ、ナニャドナサレノ」という言葉、神学者によるとヘブライ語で「御前に聖名をほめ讃えん」という意味になるとのことでした。
青森県新郷村の外れにあるキリストの墓
まさに都市伝説、ロマンがありますね。ちなみに青森にあるキリストの墓は、縁結びのご利益もあるそうなので恋愛成就を願う人は是非一度訪れてみるのも良いかもしれませんね。
まとめ
青森県の心霊スポットや怖い話、都市伝説についてまとめていきました。青森県は他県と比べると神秘的な話が多いようでした。実はここでは紹介していないのですが、太古宇宙飛行士説というのもあって世界中の学者や考古学歴史者を虜にさせた都市伝説なんかもありました。これに関しては元気と読者様からの熱い要望があれば調査して更新したいと思っています!
それでは最後までご覧くださりありがとうございました!
次回もお見逃しなく!
コメント