陰陽師のナゾを深堀!

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群馬県と言えば、陰陽師おんみょうじの隠れ住む村があると言われています。歴史的にも活躍し、日本全国にえんのある場所を持つ陰陽師。群馬県に隠れ住む、安倍晴明あべのせいめいの子孫、陰陽師のナゾについて深堀していきたいと思います。

ゼノン

歴史的に大きな関わりを持った陰陽師。一体どんな集団なんでしょうか。

ネッコ
ネッコ

陰陽師と言えば、呪術かにゃ?

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陰陽師のナゾを深堀!

平安時代中期以降に活躍した陰陽師ですが、彼らは呪術じゅじゅつ占術せんじゅつなどを使って国家を悪い悪霊などから守ってきた人たちと言われています。しかし、時代の流れと共に「陰陽師」をよく思わない人が出てきました。そんな彼らが逃げ行きついた地が、群馬県の山奥にあると言われています。群馬県に隠れ住む陰陽師のナゾを深堀ふかぼりしていくうちに、どうやら、陰陽師の子孫が現在までひっそりと暮らし続けていることが分かってきました。

伝説によれば、陰陽師おんみょうじの子孫は次の場所に住んでいます。

埼玉県さいたまけん方向に車で1時間ほど山道を走った山奥に彼らが隠れ住む村がある。村へ続く道はただ一本。目印めじるしは入り口にある大きな鳥居とりい。それを抜けると神社が待ち構えている。そして、その神社を中心におよそ20の家が点在てんざいしており、40人足らずが住んでいる。

陰陽師のかくむら

この村はとても変わっているようで、住民の殆どが神社を守る神職しんしょくということ。彼らの多くは呪術や占術といった、透視能力とうしのうりょくを持っていると言われています。彼らが持つ超能力ちょうのうりょくの9割が遺伝いでんによる「かみからさずかった神聖しんせいな力」のため、村全体に強力な結界けっかいがしかれているそうです。

それでは次にナゾに満ちた「陰陽師おんみょうじ歴史れきし」を深堀していきたいと思います。

陰陽師の歴史

陰陽師と言えば、映画「陰陽師」でも話題となった安倍晴明あべのせいめいです。彼は平安時代に活躍した人物で、朝廷ちょうていにある陰陽寮おんみょうりょうと呼ばれるところでつかえていたそうです。式神しきがみをつかって天皇や貴族の病を治したり、天気や未来を占うことができたため、藤原道長にその能力をかわれていたようです。ちなみに、「陰陽師」とは今で言う国家公務員こっかこうむいんといったところです。

安倍晴明を祀る晴明神社せいめいじんじゃ

陰陽師の歴史をさかのぼってみると、実はもっと古くから存在していた人物がいます。それは、聖徳太子しょうとくたいしです。飛鳥時代、聖徳太子が、高句麗中国から風水占いこよみ時間といった概念を日本に広めたのが陰陽師の起源と言われています。そうして、奈良から平安時代にかけて、安倍晴明が登場、本格的に陰陽師という人たちが活躍したのです。ちなみに、加茂家かもけ安倍家あべけは陰陽師の陰陽寮おんみょうりょうを大きく動かした二大勢力です。当時の陰陽師は、戦に敗北した人々の祟りを静める役割を担いました。菅原道真すがわらのみちざね平将門たいらのまさかど怨霊おんりょうを静めた逸話いつわで有名です。

平将門の怨霊を静める将門塚まさかどづか

鎌倉時代、天皇の力が弱くなってしまい、天皇に仕える陰陽師たちは貧しくなります。これに反感を持った一部の陰陽師は、呪術や占いを外部に漏らし、民間で悪だくみに呪術を使う「ニセ陰陽師」を生み出す結果となってしまいました。こうして陰陽師は、民間から風評被害ふうひょうひがいを受けるようになったのです。戦国時代、もはや彼らを頼る人は大きく減少、二大勢力だった加茂家かもけは完全に血筋ちすじが絶え、残るは安倍家のみとなりました。天下統一を果たした豊臣秀吉とよとみひでよしは、陰陽師を嫌い、弾圧。彼らの居場所いばしょは無くなったのです。

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江戸時代、徳川家康とくがわいえやすは、安倍晴明の子孫を宗家そうけとして迎え、衰退すいたいしていた陰陽師に息を吹き返しました。後継ぎとなった徳川綱吉とくがわつなよしは、風水を用いて地相ちそうこよみを作成。明治時代初期、「近代国家の邪魔になる」という迷信扱いを受けた陰陽師はわずか三年でその幕を閉じることになりました。こうして、群馬県ぐんまけんの山奥にひっそりと安倍晴明の子孫が暮らすようになったそうです。

今もなお、群馬県の山奥に本当に存在するかは信じがたいですが、ウワサによると今では外に働きにでる陰陽師もいるらしく、スピリチュアルカウンセラーの肩書かたがきで生計を立てているとのことです。しかし、神から授かった神聖な力は使わないそうです。とはいえ、不安定な現代。惨状さんじょうをみかねて結界けっかいを解き放ち、裏でこっそり動いているかもしれません。

ゼノン

スピリチュアルカウンセラーで生計を立てているとウワサされる陰陽師ですが、現在は陰陽寮がないため、自らを「陰陽師です」とは言わないようです。

ネッコ
ネッコ

陰陽寮がないのに「陰陽師免許持ってます」って言われても、たとえ本物だとしても怪しまれそうだもんにゃ~。

次に陰陽師が実際に用いたとされる呪術じゅじゅつのナゾを深堀していきたいと思います。

陰陽師の呪術

陰陽師の呪術は、どちらかというと占いや風水ふうすい魔除まよけとして広く周知しゅうちされているようです。例えば、五行占霊ごぎょうれせんれいといって、五行思想に基づいた5つの気をもちいる占術せんじゅつがあります。これは、現在で言うところの「風水」に当たるらしく、主に地相を見るのによく使われています。

五行思想ごぎょうしそう

臨兵闘者皆陣列在前りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょ」を唱えて四縦五横に切る九次くじ切りは、お祓いの呪文として今でも使われています。同じく、紙で呪文を記した「式神しきがみ」も有名です。言い伝えでは、安倍晴明は式神に護衛や門番をさせたとのことです。紙や藁で人の形を作った人形ひとがたは、もともと身代わりや恋愛成就を祈る道具でしたが、丑の刻参りの藁人形や降霊術こうれいじゅつに使われています。

さて、それでは最後に陰陽師の都市伝説としでんせつをご紹介して終わりたいと思います。

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陰陽師の都市伝説

徳川家康公のお墓として建てられた日光東照宮にっこうとうしょうぐう。栃木県日光市には、陰陽師が関係する都市伝説があります。「徳川家の埋蔵金が東照宮のどこかに埋められている」というものです。どうやら、埋蔵金が埋められている場所のナゾを解くカギは、童謡どうようかごめかごめ」の歌詞にあるとされている都市伝説です。

2ちゃんねるで話題になった都市伝説「両面宿儺りょうめんすくな」が生み出された「蟲毒こどく」は、もともと日本古来からある道教に影響を受けた呪禁師じゅそしと呼ばれた人が、呪術を使って病となるじゃを取り払う「呪禁じゅそ」が起源のようです。正式名称「厭魅蟲毒えんみこどく」は、悪い事件が相次いで起こったことをきっかけに、呪禁師の間でも使用禁止となった禁断の呪いです。

渋谷周辺の陰陽図いんようず

山手線やまのてせんは、東京のど真ん中に、陰陽師の結界を作る目的で造られた」という都市伝説もあります。まず、山手線の路線図ろせんずを想像してください。丸い山手線を線路の真ん中を突っ切るように中央線が走っています。この中央線ですが、よく見ると少しカーブをえがいています。まるで勾玉まがたまを2つ重ねたような「陰陽図いんようず」です。

陰陽図いんようず

地図に落とし込んでみると、陽の部分が「山の手」、陰の部分が「下町」と呼ばれていることが分かります。さらに、「陽の陰」には皇居こうきょがあり、「陰の陽」には、新宿都庁があります。「陽の陰」と「陰の陽」と呼ばれる場所は、良い気が集中する場所とされているそうです。この路線図は、第一次世界大戦中に設計されたものらしく、皇居を悪い気から守る結界けっかいです。

まとめ

群馬県ぐんまけんに隠れ住むと言われている陰陽師のナゾを深堀してまとめました。陰陽師の歴史や呪術、都市伝説をみていくと、日本という国は陰陽師に守られているような気がしました。各都道府県にも陰陽師と縁のある話があるようです。

ゼノン

安倍晴明の子孫の陰陽師が、日本を守ってくれているとは頼もしいですね。それでは、最後までご覧くださりありがとうございました。

ネッコ
ネッコ

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