室町時代【日本の歴史】

日本の歴史
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室町時代【日本の歴史】

室町時代の日本の歴史についてご紹介します。後醍醐天皇を破って室町幕府を作った足利義政や足利義満の日宋貿易、約11年続いた後継ぎ争い「応仁の乱」など楽しく学べます。

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建武の新政(けんむのしんせい)【1334年】

鎌倉幕府が滅びた翌年の1334年後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は新しい年号を「建武(けんむ)」として新しい政府をはじめる。彼は天皇が自ら政治をおこなったやり方を理想として、短期間でころころと法律や政策を変えて、鎌倉幕府を倒した武士たちには褒美(ほうび)をあたえずに何もしていない公家(くげ・朝廷につかえる人)に褒美をあたえた。彼はきらびやかな皇居(こうきょ・天皇のすまい)を建てるために庶民(しょみん)に重い税をかけた。このような身勝手な後醍醐天皇の政治「建武の新政(けんむのしんせい)」は、武士と庶民の不満をつくるだけだった。

室町幕府が成立【1336年】

建武の新政から2年後、北条氏(ほうじょうし・鎌倉幕府の執権だった人)の子孫が反乱を起こして鎌倉(かまくら・神奈川県)を支配した。これを知った足利尊氏(あしかがたかうし・鎌倉幕府の元御家人)は、天皇の許しがないまま京都から鎌倉に勝手にむかう。彼は北条氏の反乱をしずめた後、自分の家臣(かしん・武士)たちにぞんぶんに褒美をあたえた。一方、後醍醐天皇は勝手な行動をした足利尊氏に激怒。彼は新田義貞(にったよしさだ)に尊氏を倒すように命令した。しかし、足利尊氏は義貞を破って京都へとむかい、途中で後醍醐天皇の軍に敗れるも九州まで逃亡。九州でたくさんの武士を味方につけた尊氏は、新田義貞・楠木正成軍を湊川(みなとがわ・兵庫県)で破って京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落とした。そこで武士による政治が復活したことを宣言して「建武式目(けんむしきもく・法律)」を発表。1336年足利尊氏は「室町幕府(むろまちばくふ)」をつくった。

足利尊氏(あしかがたかうじ・1305~1358年)

足利尊氏(あしかがたかうじ)は後醍醐天皇と新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼすために戦ったが、建武の新政が始まってからは後醍醐天皇に不満を抱いていた。その後、武士を救おうと朝廷に反乱を起こした尊氏は室町幕府を成立。家臣に大いに褒美を与えたとされる。また、尊氏は弟・足利直義(あしかがただよし)をとても大切にしていた。「この世の幸せは、すべて弟・直義に与えてください」と願いをこめた手紙を清水寺(きよみずでら・京都)に納めた。後醍醐天皇の死後、彼らの霊をなぐさめるため、元(げん)との貿易でためた資金を使って「天龍寺(てんりゅうじ・京都)」が建てられた。

天龍寺(京都)

南北時代(なんぼくじだい)

吉野(よしの・奈良県)に逃れた後醍醐天皇は、北朝(ほくちょう・京都の朝廷)に対抗するために新しく朝廷(南朝)を建てた。室町時代、同時期に朝廷が二つあった時代を南北時代と呼ぶ。

金閣寺(きんかくじ)【1397年】

室町幕府は各地方の武士たちを土地の守護(しゅご・地方の警察)に任命した。やがて武士たちはその土地を自分の領地にして大名(だいみょう)と呼ばれるようになった。これにより力が弱くなった幕府の足利義満(あしかがよしみつ・3代将軍)は、有力な大名たちを滅ぼした。さらに南朝と北朝をまとめて朝廷を一つにしている間、幕府を豪華な屋敷「花の御所(はなのごしょ・京都室町)」に移した。その後、おさない足利義持(あしかがよしもち・義満の子)に将軍の位をゆずって政治を動かし続けた。そうして1397年、出家した足利義満は「金閣寺(きんかくじ・金箔の寺)」を建てた。

金閣寺(鹿苑寺・京都府)

日明貿易(にちみんぼうえき)【1404年】

足利義満は(みん・中国)に遣いをおくり、明の皇帝に「日本国王(にほんこくおう)」と認められた。こうして日明貿易(にちみんぼうえき)が始まった。明の皇帝に倭寇(わこう・海賊)が海にいるので管理するよう命令されていたので、正式な遣明船(けんみんせん)に勘合府(かんごうふ・証明書)」を渡して倭寇と区別させた。そのため勘合貿易(かんごうぼうえき・日明貿易)ともよばれた。日明貿易といっても、明の皇帝に貢物をおくる代わりに褒美として品物をもらうような形式だったので日本側の利益は大きかった。輸出品は日本刀や扇、輸入品は銅銭(どうせん)や陶磁器(とうじき)だった。

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応仁の乱(おうにんのらん)【1467年】

足利義満の死後、足利義政(あしかがよしまさ)が幕府の8代将軍となる。この頃の幕府は力が弱くなり、政治の実権は大名たちが完全ににぎっていた。義政は足利義視(あしかがよしみ・義政の弟)を次の将軍に指名。しかし足利義尚(あしかがよしひさ・義政の子)が生まれたことで後継ぎ争いに発展。細川勝元(ほそかわかつもと・有力な大名)は東軍(細川方)を連れて義視を味方にした。一方の義尚は、山名宗全(やまなそうぜん)が西軍(山名方)を引き連れて味方した。応仁の乱(おうにんのらん)は全国に広がって約11年も続いたが、引き分けとなった。京都は焼け野原となり、花の御所(はなのごしょ・将軍の屋敷)も火で焼け落ちた。

勝敗:(△)義視・細川勝元軍【東軍】vs(△)義久・山名宗全軍【西軍】

おとぎ話のはじまり

おとぎ話は、浦島太郎や一寸法師、金太郎(きんたろう・坂田金時)など、室町時代にできた短編物語集「御伽草子(おとぎぞうし」から生まれたとされている。作者はわかっていないが、庶民の間で生まれたものが語り継がれてできた物語と言われている。御伽草子は江戸時代に大量に出版されて庶民に愛読された。

浦島太郎(龍宮神社・鹿児島県)

まとめ

  • 1334年…後醍醐天皇が天皇が自ら行う政治「建武の新政」を始める。
  • 1336年…足利尊氏が後醍醐天皇に反乱して武士中心の「室町幕府」をつくる。
  • 1397年…足利義満が子に将軍をゆずり、政治の実権を握ったまま金閣寺を建てる。
  • 1404年…足利義満が明(中国)と日明貿易(にちみんぼうえき)をする。
  • 1467年…足利義政の弟と子の間で起きた権力争い「応仁の乱」は11年続いた。

以上で室町時代【日本の歴史】まとめとなります。

ありがとうございました。

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